文学史クイズNo.020【2020】

【過去記事】

こんにちは!
だんだん涼しくなってきて秋らしくなってきましたね。秋は実戦問題をこなしていく時期なので、受験生の時はいくら時間があっても足りない!ってちょっと焦ってしまっていた時期でした…。
遠くを見ると途方もなくて落ち込んでしまいますが、とりあえずは目の前のことを一つ一つこなしていきましょうね。

さて、本日の問題を見ていきましょう!

問題

立命館大学は近現代の文学史の出題が多いイメージですね…。
答えの見当はつきましたか?

答え

今回は、単純な一問一答・知識問題でしたね。

解説

明治初期の文学について

日本が開国し、西洋からの文化がたくさん流れ込んでくることになります。
とはいえ、開国した次の日からすぐに西洋文化に影響を受けた文化が流通するわけではありません。文化として根付くのはだいたい20年くらい経ってからになります。今回は、この揺れ動く時期の文学について紹介しますね。

新しい文化を前に試行錯誤があったのですが、明治20年頃、今回問題になっている坪内逍遙が『小説神髄』で、江戸時代の勧善懲悪をメインにした文学を否定して「小説は人情を書くべきだ!」と写実的な小説を書くことを主張しました。(写実主義については【No.001】を参照してください。)
このあとの小説の書き方に大きな影響を与えます。

この流れを汲んで、二葉亭四迷は言文一致を目指します。
言文一致とは「話し言葉と書き言葉を一致させよう!」という動きです。現代でも、話し言葉はくだけた口調ですが、文章で書く言葉は少し丁寧になりますよね。明治初期には話し言葉と書き言葉の違いが大きくなっていたので、両者を近づけるように表記することを目指しました。二葉亭四迷は坪内逍遙の写実主義に影響を受けて、『浮雲』という作品を書きました。

しかし、西洋文化が流入してくる中で、日本独自の文化が失われていくことに危機感を持った人たちがいます。「擬古典主義」と呼ばれるものです。江戸時代の井原西鶴の文体を目指した人たちで、古き良き日本独自の文化を取り戻そうとしました。
「擬古典主義」に分類されて、文学史の入試問題で見かけるのは3人。
尾崎紅葉:『金色夜叉』
幸田露伴:『風流仏』『五重塔』
樋口一葉:『にごりえ』『たけくらべ』

この三人は、それぞれ名前と作品名を一致させておくとよいです!

このように、西洋文化を取り入れよう!とした人もいれば、日本独自の文化が失われるから取り戻そう!とした人もいるわけです。近現代の文学は一つの流れができると、それに反対するような人たちが出てきて…の繰り返しです。まずは明治期序盤の流れをマスターしましょう!
本日はここまで、お疲れさまでした!

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