この記事はこんな人に向けて書かれています
・大学受験の文学史対策をしたい人
・『蜻蛉日記』について知りたい人

こんにちは!
国語予備校講師のことのは(@kokugohaku)です!
過去3年分の問題を分析した国語予備校講師が、
効率よく文学史問題を対策するための問題を厳選して出題しています。
さて、本日の問題を見てみましょう!
『蜻蛉日記』の作者は次のうちだれか。
1.和泉式部
2.阿仏尼
3.菅原孝標娘
4.藤原道綱母
全員、日記を書いた女性たちですが選択肢の人がそれぞれなんというタイトルの日記を書いたのか思い出せますか?
さて、答えは↓へ!
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答え
4.藤原道綱母
★『蜻蛉日記』は『源氏物語』以前に成立した作品
★『蜻蛉日記』は夫の浮気をつらさをつづった作品
1.和泉式部:『和泉式部日記』
2.阿仏尼:『十六夜日記』
3.菅原孝標娘:『更級日記』です。
解説~『蜻蛉日記』とは?~
まずは基本データを書いておきます。
【作者】藤原道綱母(ふじわらみちつなのはは)
【あらすじ】夫の浮気をつらさをつづる
【成立年代】平安時代初期~中期
年代としては、970年。平安時代初期~中期にあたる時期です。
『蜻蛉日記』の成立年代が問題になるときは、圧倒的に「『源氏物語』以前の成立である!」ということ。
これが分かっていればOK!
【作者】藤原道綱母
当時の女性の本名はほぼ残りませんでした。
女性が本名を明かすのは両親か配偶者のみ。
よって、社会生活を送るときは今でもよくある「○○さんのお母さん」とか「○○さんの妻」など関係性や役職で呼ぶことが一般的でした。
道綱母にも「○子」のような名前はあったのでしょうが、残念ながら現在には資料が残っていません。
菅原孝標娘:『更級日記』の組み合わせと混乱しやすいので区別して覚えておきましょう!
【あらすじ】夫の浮気のつらさをつづる
道綱母の夫は「藤原兼家」という人です。
あの(?)有名な藤原道長の父です。
(ただ、母は道綱母と別人なので、道綱と道長は異母兄弟ということになります)
当時は子孫を残して一族を絶やさないことが最・重要視されたので、一夫多妻は当たり前でした。ただ、世の常識としては認められていても、男女の関係は気持ちがついていかないもの…(多分?)
最近はあの若い女のところに通っているらしい…と聞きみじめな気持ちになる。
でも、待つことしかできない女はどうしようもありません。
だんだん浮気を隠さなくなってくる兼家。
ある日、兼家が道綱母のところに来てくれた!それはそれで嬉しいのに、口では憎まれ口をたたいてしまう。ちょっと拗ねて扉を開けないでいたとき。
「喜べばいいのに…」と思う気持ちもありますが、拗ねたくなる気持ちは現代人にもわからなくはない…?
この場面で読まれた和歌が百人一首に入っています。
いかに久しき ものとかは知る
(口語訳)
嘆きながらあなたを思いながら夜を過ごすのはどれだけ長いのかご存じでしょうか?
いや、知らないはずでしょう?
「そんなこと言わずに開けてくれよ~お前に会いたくて来たんだからさ~」的なことを言ってくれる展開を道綱母は予想していたのでしょうが、
兼家は「あけてくれないなら帰るか」とあっさりあきらめます。
これはさすがにかわいそうですね…。
『蜻蛉日記』は日記は人に読ませるために書かれているものではないので、主語が取りにくい文章です。
(まあ、1000年後に入試問題にされるなんて思わないですよね)
人間知識など、背景知識をしっておくと読解もしやすくなりますよ!
(道綱が大きくなると、兼家と道綱母の夫婦ゲンカに巻き込まれるようにもなっていきます)
まとめ
今回の問題で覚えておくべきことはこちら。(再掲)
★『蜻蛉日記』は『源氏物語』以前に成立した作品
★『蜻蛉日記』は夫の浮気をつらさをつづった作品
本日はここまで!
おつかれさまでした!
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